ランバダしながら冬ごもり。

kanoroot2009-12-03

地下にもぐっていたのですが、浮上してきました。
夜中に猫とランバダを踊ったり、連れ合いに天空×字拳を繰り出している間に12月になってしまった。
時が経つのは早いものよのう。


あんまりにも面白くって二回も見ちゃったよ、クエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスターズ』。
ユーモアセンス、言葉の選び方からカメラワーク、音楽の入れ方まで、好みど真ん中で、困っちゃうくらい好きな映画でした。もうね、あのキューピーの額に「映画ばか」って太い油性マジックで書いてあげたい。背中に「天才」とアップリケしてあげたい。
「映画が好き」っていう気持ちだけが、タランティーノのすべての原動力。彼にとって映画は楽しきゃいいんで、ためになったり役に立ったりはいらないの。そういう姿勢、ほんと、愛してるぜ。
思えば、映画をちゃんと見るようになったのは、つまり、かっこいい役者が出ているとかミーハーな要素だけではなくて、制作者側に興味をもって映画を見るようになったのは、『パルプ・フィクション』がきっかけだった。「なんだこの超絶な面白さは。こんなもん撮った人ってどんな奴なんだ。」たまらなくワクワクドキドキしながら映画を見る感じを、久しぶりに思い出した。


田辺聖子『無芸大食』を読んでたら、短編「はじめに慈悲ありき」にこんな文章が。

人間、やましくなけりゃおしまいだ、と思う。うしろめたい思いをする人間こそ、オトナなのだ!と感じ入ったりする。
(いやあ、夫婦、ちゅうもんは)
と竹中は考えていた。
(やっぱり、どっかこう、お互いに、相手にわるい、ト。合わせる顔がない、ト。そういうのでないとあかんなあ)

まったくもって、そのとおりだ!と、電車のなかで読んでいたにもかかわらず、ぶんぶん首を縦に振ってしまった。以前テレビで、夫婦円満の秘訣はなんでも包み隠さず話すことだ、と誰かが言っているのを見たけれど、そんな秘訣くそくらえだわ。
正しすぎることは、ときに息苦しい。人間関係には、ゆるさや逃げ道がないとちょっと、いや、だいぶしんどいんじゃないかな。
私なんか、やましいことばっかりだ!そう、色気というものは、やましさから立ち上るものなのよ、うふふ。立ち上ってないけどね…。

([た]1-7)無芸大食 Tanabe Seiko Col (ポプラ文庫)

([た]1-7)無芸大食 Tanabe Seiko Col (ポプラ文庫)