来月で5年。
最近の悩みは、「ドラゴンボール改」を見るのをやめられないこと。連れ合いにつられて見始めてから、ずっとやめようやめようと思っていたのに(だって、せっかくの日曜の朝がアニメで始まるなんてオシャレじゃないでしょ。)、ついに8話でベジータが登場したのでやめられなくなってしまった。
なにを隠そう、私はベジータファン。ちびで、自信過剰で、王子で、ほどよく強くて、プライドが無駄に高い。素敵すぎる。先日よく行く飲み屋でベジータのよさを力説していたら、それを聞いた店員の女の子に「ベジータ、かっこいいっすよね!女子はみんなベジータ好きです!」と言われた。
ベジータ、みんなのものだったんだ…。軽くショック。
今週はよく夢を見る。
母親の命日が近いからか、昔の家族の夢ばかりだ。まぁ、だいたいは幸せな夢。
それで、久しぶりに本棚から新川和江の詩集を引っ張り出してきた。この本は母の持ち物だった。亡くなってから初めて手に取ったとき、あるページを繰り返し読んだ跡があるのに気付いた。そこには「わたしを束ねないで」という詩があった。新川和江の代表的な詩だから、知ってる人も多いと思います。
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡す限りの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
新川和江『比喩でなく』より
大切な人を亡くしてしまうと、あとに残された者は「亡くなってよかったんだ」と思いたい。そうやってプラスになんとか方向展開しないと、つらいばかりだから。
私も、この詩を読んで自分を納得させる。亡くなって、自由になってよかったんだ。
私だってたまにはセンチメンタルになるさ。